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創業の心

業界のために働きたいという精神で-「自転車」 岩崎 清(リアル化学株式会社 前創業社長)

昭和20年(1945)3月、妻さと子23歳、私29歳で結婚した。新居は赤羽稲付5丁目の山の上であった。当時は煙草を買うのに行列で、やっとピース1個を買って日本橋の薬品の会社へ勤めに行った。ひと月ほどして箪笥の上に30個積んであった。どうしたのと聞くと「貴方がいつも並ぶ煙草屋で。」これでひと月並ばなくて済むと喜んで「ありがとう」と言ったら「お礼を言うのはまだ早いわ、後から行って払って来て」。偉い人をもらってしまったと驚いた。

やがて終戦になって、インフレで生活費が月400円を超すようになって苦しくなった。妻の父の勧めもあって、パーマのソリューションを作ることにした。化粧品製造業の届を都庁に出すと、昭和20年12月15日付にて、経工企収第21号で許可が下りた。

当時は運送屋が無かったので原料のアンモニア水を自分で運ぶことにした。焼け跡から拾って来たようなヨタヨタ自転車に、近所の八百屋から借りて来たリヤカーに斗巻瓶を満載して、赤羽から川崎の矢向にある中田化学という工場へ取りに行った。出掛けに弁当と水をビール瓶に詰めてリヤカーに結び付けた。出発は朝7時、向こうに着くのは11時、弁当を食べて水を詰め替え1時には帰途についた。六郷橋に来ると経済警察の検問所があり、厚生省の切符があるので通行が許可された。

それから大井に来るまで皆焼野原なので、蒲田、大森は北風の強い日は乗らずに引いて歩いた。札の辻から宮城前に出て、夕刻には小川町からニコライ堂の坂にかかる。汗だくで引っ張り上げて本郷を通り、駒込で下ってしまう。霜降橋から飛鳥山へ上り、十条を通り赤羽の清水坂を降りる、稲付の山の下には家内が待っていて後を押してくれて、家に帰ると午後7時頃である。これを毎週1回やらないと原料が続かない。

製品を自転車に積んで都内近県のお得意サロンへ配達した。今の専務が幼児の頃、自転車の芯棒に座布団を結わえてその上に乗せてお得意を訪問したこともあるし、髪の美しい女性に会うと飛び降りて、どこのサロンでパーマをかけたか聞いたこともある。

永年勤めた薬品の会社から円満退社の退職金2300円也をいただいた。ある日、家に帰ると程度の良い中古自転車があった。思わず嬉しくて妻にどうしたのかと聞くと「買ったわ」と言う。いくらと聞くと「2300円だわ」と言う返事。ああ、俺の青春時代は中古自転車1台であるかと情けなく思った。2度目の自転車でまた一生懸命働いた。

昭和24年、大塚に引っ越した。朝、鶏の鳴くまで徹夜で研究をした。

オートバイに乗るようになったので、不要になった自転車を製造の作業場(見様見真似で自分で建てた)の天井に吊しておいたところ、ある日失くなっていた。妻に聞くと「邪魔だからクズ屋に出したわ」と言う。やがて素晴らしい工場ができたら、ハンドルでも御神体にして、神社でも祠でも祀っておくつもりであったのにとがっかりした。

今の工場を建てるまでに、家内とともに栃木、群馬、茨城、埼玉と各方面を10年以上場所探しをした。ある時は、地方の畑で農協から買って来た弁当を食べながら将来の工場を語り合ったこともある。 現在新鋭の川越工場には神社もハンドルの御神体もなく、すでに家内も逝くなったが、人に恵まれ大勢の社員が業界のために働こうという精神は脈々と生き続けている。

月刊「美容界」((株)女性モード社発行)平成5年6月号より

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